『叙述トリック』にご用心

 

 主人公、あるいは作中の登場人物が「男ではなく実は女でした」とか「実は別の人物でした」「それぞれ別々の人物ではなく実は同一の人物でした」といったように普通に読んでいるだけでは気づかない、作中人物ではなく「読者」を騙す仕掛けのことを「叙述トリック」と呼ぶ。書店でこのような本の煽り文句を見たことはないだろうか?

あなたも必ず騙される!

ラスト一行のどんでん返し!

 この手の帯やフリップのついてる作品は大抵叙述トリックものである。しかしこれ、実は読者にとっても作者にとっても迷惑極まりない宣伝文句だ。自分は叙述モノの代表作と呼ばれる作品についてはあらかた読了しているが、叙述モノは叙述モノだと知った上で読むとその仕掛けに気づいてしまうことが多い上に、過去に一冊でも気持よく騙されてた経験があるとかなり耐性がついてしまう。だからこそ、初めて出会う叙述モノがその人の中での最高傑作となることが多い。

 叙述トリックはあくまで読者に対してフェアでなくてはならない。そのため注意深く読めば不自然な会話や振る舞いなどの伏線が多数張られている。それに気がつかないまま読み進めてタネ明かしをくらい、驚いて読み返すと「確かにここ変だわ。あーやられた」と納得できなければ失敗も同然というわけだ。しかし、この手の作品も当然商業目的の出版物であり、書店で手にとってもらうためにあらすじとその魅力を伝える必要があるが、その際に叙述モノだということを隠したまま紹介することはかなり難しい。友人に勧める場合もネットでレビューを書く際も同じだ。(Amazon等のレビューで「叙述トリックの傑作です!」などと無自覚なネタバレを平気で書く馬鹿が後を絶たないので、ミステリ作品は基本的に購入前にレビューを読まないほうが良い)

 作中の仕掛けで読者を騙す以前に「叙述トリックが使われていること」それ自体に気づかれないまま読ませ始めなければならないことがこのジャンルの作品を発表するにあたって最大の難所だといえる。また逆に「叙述モノが読みたい!」と思って、それを手がかりに検索したり作品を探すことができない(というよりそれをやって見つけた作品の魅力は読む前に半減してしまっている)のも悩みだ。よって真に叙述トリックを堪能したければその手の作品に偶然に出会うしかないのだ。ある程度そのジャンルに目の肥えた読者は知らずに読み進めて初めて「うわ、これ叙述モノだったのか。やられた」となる以外に最高のカタルシスを味わう方法がない。もちろん、叙述トリックが使われているとわかった上で読んでも楽しめる作品は多々ある。しかし、それらもやはり前もって知らないに越したことはないのだ。

 この叙述トリックというジャンル、基本的には「小説」という媒体でしか成立し得ない(ビジュアルノベルでギリギリ可能か)。「主人公が実は女でした」「別人ではなく同一人物でした」「舞台が地球ではありませんでした」このような作中の人物たちとっては自明であることを、視覚的な情報を文章でしか読み取れない小説という媒体の不便さを逆手に取って、読者の脳内で間違ったイメージを形成させミスリードする。これが基本的な叙述トリックの仕組みである。したがって映画やアニメ、漫画などのように視覚的な情報を明確に与えてしまう媒体では受け手のミスリードを誘うことが極めて困難となる。

 この点にまさに小説という古びた媒体の可能性を見出したい。確かに小説は物語を伝える手段としては映像媒体に圧倒的に劣る。鮮やかな映像もなければ盛り上がるBGMもない。そればかりか漫然と文字をなぞるだけでは情報が頭に入ってこず、読み取った文章をいちいち紐解かないと話も理解できない。そんな不便で時代遅れな小説の生き残る道とは「読者に想像の余地を与え、足りない情報を好きに補ってもらう」こと以外にないのだ。でもこの話は別のエントリで取り上げたいと思ってるのでこの辺で。

 叙述トリックはそれ自体が登場人物ではなく読者を騙すために用意された仕掛けであるため、これをミステリの一ジャンルとして扱うのを毛嫌いする人もいる。確かに叙述トリックにこだわりすぎて人物の挙動が明らかに不自然だったり、事件内容そのものがつまらなかったりする作品も少なくない。しかし、小説の持つ不便さと自由さを活かしたメディア特有の武器の一つになっているのは間違いないので今後も良作がたくさん出てくることを願う。こっそりと、ね。

 

 最後に、ここでもこのジャンルの名作をいくつか紹介したい。のは山々なのだが、先に述べた性質上嬉々として紹介することができない。よって以下、叙述モノであることは承知の上で読んでも楽しめる自信のある人にだけ白文字でオススメを挙げる。反転して読んで頂きたい。

『殺戮に至る病』我 孫 子 武丸

・このジャンルの最高傑作の一つと言って過言ではないと思う。ただ性的倒錯者を描いたサイコホラーでもあるので特に女性は気分を害す箇所もあるかもしれない。

『鴉』『蛍』麻耶 雄嵩

・二作とも叙述モノ。連作ではない。舞台が館のクロ ーズ ドサー クルが好きなら『蛍』を「ひぐ らしの なく頃に」のような閉鎖的な村が好きなら『鴉』を。

『十角 館の 殺人』綾 辻 行人

・叙述モノとして以前に新本 格ミステリの傑作。教養ミステリとして読んでおくべき。

『ロート レック荘事件』筒井 康隆

・これも館モノ。メタミスを強く意識している感があるため、ある程度慣れた人が読んでも楽しめるように思う。

『そして 二人だけになった』森 博嗣

・かなり大掛かりなトリック、それだけに無理のある箇所もある。典型的な「トリックありき」のシナリオだけど仕掛けに気づかなければイン パクトは大きい。

『ハサミ 男』殊能 将之

・仕掛け自体には驚いたが、ややアンフェア。長いだけに納得出来ない場合不満が残りそう。映画化したけどそちらは未視聴。どうやったんだろう?

『向日葵の咲かない夏』道尾 秀介

・ホラー ミステリーが好きならオススメ。ただし肝心の叙述 トリックは評価が分かれそう。自分は悪い意味で裏切られた気分になった。

『星降り山荘の殺人』倉知 淳

・やや叙述 トリックに拘りすぎな感が否めない。ただ、読者に挑戦している姿勢と個性あふれる登場人物のお陰で読み進めるのは苦でないし、何か許せる。

『消失!』中西 智明

・二段構えのトリック。三者視点で進む物語が意外な形で繋がる。群像劇が好きなら是非(でもこの人、一発 屋だったなぁ)。

 

おまけ

『Ever 17 ‐the out of infinity‐』KID(※ギャルゲー)

・名作ギャルゲ。上で挙げた森 博嗣の作品と似通うところのある設定とやはり大掛かりなトリック。美少女 ゲームに抵抗がなければ黙ってやるべし。

 

 他にも乾 くるみ『イニシエーション・ラブ』や歌野 晶午『葉桜の季節に君を想うということ』なども名作として挙げられることが多いが、個人的には人に勧められる程ではなかった(両作品とも恋愛要素が強いため凄惨な事件にうんざりした人ならいいかもしれない)またこのジャンルの元祖とも言えるアガサ・ クリスティの『アクロイド 殺し』も本来勧めるべきなんだろうけど、このトリック正直腑に落ちなかった(発表当時は衝撃的だったんだろうなとは思う)

 ただし、叙述 トリック作品は読めば読むほど耐性がついてしまうため、評価は読む順番にかなり依存するところがあり、人によって評価が分かれやすい。面白い作品から読むべきか、評価の低いものから慣れていくべきか。それもまたこのジャンルを勧めるにあたっての悩みどころかも。