マルチ商法の話

 

 最近連絡すらとっていなかった知人の女性に突然呼び出されて、ホイホイついていったらマルチ商法のセミナーに付き合わされたということがあった。まぁそれについては散々Twitterでネタにしたからもういいのだけど、それにしても何故こうも胡散臭い儲け話に騙される若い人がネットの時代になった今も後を絶たないのだろう

と疑問に思ったので、久々にブログを更新することにした。

 

 

 何の自慢にもならないが、私は所謂マルチ商法と呼ばれるビジネスの誘いをこれまでに三度受けた経験があり、三度セミナーに出向き、三度お断りしてきた。これから多分ネガティブな話しかしないので念の為に言っておくと、マルチ商法というビジネスモデルそのものは違法ではなく、商品を介在させずに金品配当のみを目的とした犯罪行為であるネズミ講とはまた別モノである。この辺りの話はググればいくらでも出てくるので割愛するが、「会員制で楽に沢山稼げる話」は十中八九詐欺だと思っておくくらいでいいと思う。

 三度の勧誘は全て知人からであった。そういうビジネスなのだから当然といえば当然だが、特に昔の知人から何の前触れもなく「話があるんだけど」などという文言が届いたらこの手の話だなと身構えた方が良い。

 初めて勧誘を受けたのは大学一年生の夏で、誘ってきたのは高校時代の特に親しかったわけでもない同級生だった。当時からこの類の詐欺の話はよく耳にしていたし、学校でも再三注意を促されていたので、当然不審に思ったのだが「話だけでも聞かないか?」というお決まりの文句に、私はおそらく多くの人とは少し違った好奇心を掻き立てられてしまったのである。

「詐欺だと決めてかかって、その手法をちょっと見てみたい」と。

 

 それからというもの私はこの手の誘いがあると話だけは聞きに行くようにしているのだが、断じてオススメしない。この手の詐欺に遭いたくなかったら「話を聞きにいくな」がセオリーだとされているが、これは完全に正しい。親しい友人からの誘いを無下にしたくない気持ちから「話だけでも」の一言に乗ってしまう人は多いと聞くが、絶対に騙されない自信がある人でも避けたほうが懸命だ。

 ネット上でも同様の被害にあった話がごまんと報告され、「マルチ商法は怪しい」というイメージが世間にかなり浸透し、「おいしい話」を警戒する人が増えているにも関わらず、何故未だにこうも騙される人が多いのか。それはビジネスの内容そのものとは別のところにあると私は考えている。事実、知人達も皆口をそろえて「最初は怪しいと思った」と口にしていた。テンプレである。しかも、うち一人は事前にネットで調べ、ほぼ同じ内容を扱う詐欺被害の話に目を通してさえいたのだ。つまり仕掛ける側からすれば「悪いイメージを持ったまま疑いの目で渋々話を聞きにくる」ことなど織り込み済みなのである。

 

 セミナーと聞くとどこかの教室のような場所で大勢で受けるイメージを持つかもしれないし、実際そういうのもあるそうだが、私が受けたものは三度とも三者面談の形で行われた。自分、自分を誘った友人、先輩会員、である。話を聞く場所はどこかのオフィスを借りていたり、喫茶店だったり、ファミレスだったりできちんとした事務所を構えていたことは一度もなかった。

 扱う商品はそれぞれ健康食品、携帯電話の付属品(?)、アフィリエイト広告、で流行に乗っているのか何なのかよくわからない物ばかりだった。正直な話、モノ自体は何でも良いのだと思う。結局はマルチ商法も「本当に世の中に需要のある商品」を扱わなければ儲からないシステムだそうだが、そんな物仕入れられるなら普通に売れよという話ではある。扱うモノは違っても勧誘の手口は驚くほどテンプレ通りだ。

 まず、会話の切り口は「〇〇君(友人)からどんな話だって聞いてる?」のように始まり「それ聞いてどんな印象もった?」と続き「怪しいと思うよね。ネットとかで色々言われてたりね」と続く。ウチは違うよと言わんばかりに。そう言うしかないとはいえ、ホントどの口が抜かすのかと。

 事業内容のおおまかな説明したあとは大抵、世界規模のスケールの大きい話や、時事ニュース、過去のビジネス成功例、等をデータと一緒に紹介する。後で調べれば分かる話だからか、ここで出てくる資料自体は割とまともだったりする。しかし多くの場合そこからかなりこじつけに近い理論で「だからこれから日本でこれが流行る。ウチがいち早く事業を仕掛ける。めっちゃ儲かる。チャンスは今しかない」などとまくし立ててくる。私が聞いた一例を挙げると、

 

世界中でカジノ流行っている(世界規模の話)

      ↓

これから日本でもカジノが合法化され、カジノが流行る(時事ニュース)

      ↓

だからオンラインカジノも流行る(んん?)

      ↓

今だけ会員制のネットカジノのオーナーを募っている(はぁ…)

      ↓

今投資すれば必ず元を取れるどころかめっさ儲かるヤバイ流行る前の今しかない(?????)

 

 

  書いてて頭が痛くなってきた。全く意味がわからない。しかしこの馬鹿馬鹿しい話を話術とプレゼンの上手さで本当に儲かるように聞こえさせてしまうのが彼らの手腕だ。あんたら真っ当に営業職やってても普通に成功しただろ、と嘆かずにはいられない。ただ、どの商品でもほとんどパターンは同じ。とにかく「近々こういう流行が必ずくるから乗るのは今しかない」とまくし立てる。言っちゃ悪いがあまり賢くない人間はここで既に目を輝せて聞き入っている。

「この手の詐欺が横行していることは知っている。でも幸運にも今自分が聞いているこの話だけは本当かもしれない……。」とでも思うのだろうか?

 

 このビジネスがいかに儲かるかという話をした後は、個人への配当の話に移るのだが、これが輪をかけて摩訶不思議。私は三度似たような話を聞いて、ついに一度たりとも仕組み理解することが出来なかったのである。なんとか聞き取れたのは会員を誘えば誘うほど、自分が誘った友人が誘ったそのまた友人の分までどんどんお金が入るよ、みたいな話ばかり。

 どこからそんな全員に配る金が湧いてくるのかも、必ず元を取れる根拠もさっぱりわからない。確かに私は理数系には強くないのだが、理解しようとすればするほど破綻するのだ。そもそもが絵空事なのだとしたら無理もないのだが、彼らはさも当然のようにさらっと説明し「ね? 簡単でしょ? 質問ある?」と微笑む。もしかして理解できない自分はアホなんじゃないかという不安さえ感じ始める。

 そして私は傍らの友人知人にいつも尋ねる。「今のを自分でもう一度説明できる?」と。できた試しはない。それどころか、できないから説明をこの人にしてもらっているのだと開き直る始末。あのさ、

  理解できてすらいないことを、どうやって信じてるの……?

 

 

 

 と、思わずツッコミたくなるのだけど、これこそが人が詐欺にひっかかる最大の罠なんじゃないかと勝手に思っている。人間はモノの仕組みや現象や過程を理解できなくてもそれを信じることができてしまう。人を信じてさえいれば。

 風邪をひいて医者に薬をもらう。多くの人は風邪薬が効くと信じて飲む。薬の成分や効能など一切解っていなくとも、それが怪しいものじゃないかと疑ったりはしない。それは薬ではなく医者を信じているからだ。

 学校の教科書の記述を信じて、コンビニのオカルト本の記述を真に受けないのは、教科書を書いたどこかの偉い先生を信じて、どこぞの零細出版社の三流ライターを信じていないからだ。

 誰が言ったか、ということの重大さに比べれば、何を言ったかということの価値は驚くほど小さい。信頼性も信憑性も、大事なのは誰が保証しているかということだ。

 

 とすると詐欺に共通する手口は実にシンプルである。何を売るか、どうやって儲けるかなんて理屈は些細な事、とにかく話している人間を信頼させてしまえばいいのだから。胡散臭い儲け話があると聞けば、誰だって「詐欺ではないか」と疑う。ところが一部の人々は「それを語るこの好青年は詐欺師だ」という当然の帰結から目を背けてしまうのだ。

 嬉々としてこのビジネスを語る会員達はどいつもこいつも揃ってポジティブで愛想がよく、共感できる身の上話を交えながら、こちらの話も親身に聞いてくれる。話の内容にはどれだけ疑ってかかれても、親しみ深く接してくる話者本人を突き放し続けることは難しい。

 

 愛想笑いや空返事を繰り返し、それでも鉄の意志を持ってこの話を断固として信じないままやっとセミナーが終わる。どう考えても胡散臭い。さっさと断って帰ろう。などと考えていると最後に必ずこんな提案がある。「今すぐ投資していただかなくても結構です。ただ」

「連絡先を教えてくれませんか」or「無料の会員登録だけでもしてってください」など

 

 ハッキリ言って嫌に決まっている。こんなキナ臭い組織に個人情報なんて死んでも渡したくない。でもそれすら断ることは即ち「これは詐欺で、お前らは詐欺師だ」と面と向かって告げることとほぼ同義である。表面上だけとはいえさっきまで親しげに話していた、この人間に向かって。この人間を信用しきっている友人の前で。

 そんなことをすれば間違いなく今後友人との関係は気まずくなるだろう。それどころか自分が悪い印象を与えれば友人の立場が悪くなってしまうのではないかとさえ思える。

 遠回しに断ろうとしても言葉尻を捉えられてしつこく迫られる。もう開放される術は渋々個人情報を渡すか、心を鬼にして友人ごと切り捨てるかほか無い。どちらにしても嫌な後味だけが残る。

 こうしてようやく気が付くのだ。「騙されない自信があっても、話は聞きにいくな」というセオリーの意味に。

 

 詐欺にハマっている人間を説得してやめされるのは難しいと聞く。というか実際難しい。それは多分話ではなく人の方を信じてしまっているからだと思う。そもそも自分がやろうとしていることの仕組みをきちんと解っていない人間も多いのだ。ガバガバ理論や試算の矛盾をどれだけ指摘したところで届く筈がない。

 人を疑うことは、話を疑うことよりもずっと後ろめたく、気が滅入る。知人たちの話を聞いていて感じたことは、どちらかと言うとビジネスそのものより、仲良くなってしまったこの人を信じたいという気持ちのほうが強いように思えた。

 人を信じることが尊いことだとしても、身なりや印象だけで初対面の人間を無条件に信じるのは、疑うことの煩わしさや後ろめたさからただ逃げているに過ぎない。そうして騙された後に「裏切られた」と相手を非難するのはお門違いだ。騙す人間が一番悪いとしてもだ。

 

 

 長々と偉そうに語ってきたが私自身、詐欺に騙されないという自信は全くない。ハニートラップや美人局など仕掛けられようものなら嬉々としてハマっている自分が目に浮かぶ。私が三度勧誘を受けてもマルチ商法詐欺にかからなかったのは、賢明だからではなく頑固だからだ。

 そもそも私は合法だろうと儲かろうと、マルチ商法というビジネスモデルそのものが好かないのである。友人を誘い入れれば、自分は会員を増やすことができ、友人もいい話にあやかれてwin-winだとか皆ハッピーだとか宣う。(実際詐欺に遭ってる人間も友達を騙そうとしてではなく善意で薦めてくることが多い。これがまた厄介なところ。)

 だがそんな理屈は詭弁方便。本質は友達や知り合いに自分の負担の一部を押し付けて利用しているに過ぎない。その心苦しさをwin-winだとか理由づけて正当化しているだけである。

 

 

 大人になって嫌というほど自分の凡庸さを痛感し、人並み程度の人生を送れたらいいやと口にしてはいても、心の何処かでは人よりも豊かで楽で華やかな生活に憧れている。糞の塊のようなこの人生を何時か何かで逆転させたいと思っている。

 ウマい話に騙されるのはそんな私と同種の人間達なんだろうなぁと容易に想像がつく。信じたいことだけを信じ、都合のいい未来だけ夢見て安請け合いするその愚直さと横着さこそが自分の人生を暗澹たる方向へ導いてきたのではなかったか。

 世の中、騙されてもいいのは巨乳美女からの誘いだけだと決まっている。