匿名、仮名、実名

 

 インターネットが世間に普及して15年ほどになる(のかな?)。ネット環境の進歩はその利便性と引き換えに様々な問題を引き起こしてきた。中でもよく取り沙汰されるのが「匿名や仮名での無責任な書き込み」である。自分は中学生の頃から2ちゃんねるに常駐していたため今でもSNSよりあそこが一番居心地が良かったりするが、昔ほどアングラではなくなったとはいえ今でも良いイメージをもってない人が多いと思う。

 世間は「匿名性」というものに対して随分辛辣だ。曰く、匿名掲示板の情報は信用出来ない、嘘を嘘と見抜ける人でないと云々。それはそうだ。そもそもネット上でなくとも人は平気で嘘を吐くし、冗談を言う。匿名であるというのは単に嘘がバレてもリスクがないからデマが多いよ、という話にすぎない。ただ、ソースも確認せずに真に受ける方が悪い、と偉そうに言えるのも今だからの話で、掲示板というものが登場した頃は皆その扱いに慣れていなかったから簡単に信じてしまう人が多かったのだ。今でこそ皆ネットリテラシーをつけてきているが、当時はどこの誰とも分からない自信満々な書き込みが何故か賢い人、その筋に詳しい人が書いているように見えたものである。

 また、著名人はしばしばこんなことを宣う。匿名は卑怯だ、文句があるなら名のり出て言ってこいや、と。もっともな言い分に聞こえるが騙されてはいけない。そもそもメディアに露出してる人間というのは既に社会的になんらかの評価を得ており、支持者がいて、後ろ盾がある。そんな力を持った人間がずぶのパンピーに名乗り出ろなどと抜かす、卑怯なのはどっちだという話だ。ネットが無かった時代から誰もがテレビの向こうの有名人に対しお茶の間で好き勝手なことを言っていた。掲示板等が登場し、それが可視化され共有されるようになった。有名人に対する風評が家族や友人間から不特定多数に飛躍したことは気の毒だと思うが、それは匿名性とはあまり関係がない。無責任な書き込みを擁護はしないが、今や世間に名前を売ろうと目論む人間は、有象無象の声を右から左へ受け流す図太さが必須なのは事実である。

 匿名はネット上に「自分」を設定せずただ声だけ上げることを目的とするが、アカウントやハンドルネームを持てば現実の自分を特定されない範囲で仮の自分を作ることができる。これが「仮名」である。今、仮名の代表格はTwitterやネットゲームだが、仮にも「自分」を設定する以上、匿名に比べるとやや他者の目を意識した発言になる人が多い。発言のリスクは実名>仮名>匿名なのは間違いない。だからネットの黎明期のコミュニケーションは匿名か仮名かという状況だった。ネット上の危険性を考えれば一般人が実名を出して何かしようなんて狂気の沙汰だと誰もが考えていたからだ。

 そこに登場したのがSNSである。かつてはmixi、今はほぼFacebookの天下だが、そのコンセプトは元々の友人間でネット上の交流を図ることと、知らない人とも「実名」同士でトモダチになろうというものである。ここまでくると無意識にでもない限り、問題発言をする人はほぼいなくなる。不用意な発言のリスクはそのままリアルの自分の信用に関わるからだ。その結果何故か皆、現実世界以上に空気を読みあった発言をするようになり、むせ返るほど優しい世界がそこには広がっている。自分はmixiもFBも長く続かなかったタチだが、人によっては居心地良く感じる人もいるのだろう。

 仮名であろうと実名であろうとネット上で人とコミュニケーションを図ること、つまり連絡を取り合う、近況を報告する、トモダチを増やす、そんな目的はしかし枝葉末節。それらの真の意図は「他人に認めてもらうこと」最近良く聞く承認欲求の充足である。先に断っておくとこれは何も悪いことではない。普通の人間は他者からの評価を気にせずに生きていくことはできないし、物事へのモチベーションを上げるためにも無くてはならないものだから。承認欲求という言葉にどうもいいイメージが湧かない原因は、他人からそれを露骨に感じることが多くて鬱陶しいというのと、実際に評価されている人を見ると妬ましいというのがあるからだと思う。

 この承認欲求を満たすために仮名と実名で手段が変わってくるのも面白い。FacebookTwitterで比較すると、実名である前者はリアルの自分をひたすら良く見せようとする近況報告という名の「自慢」が主なのに対し、仮名の多いTwitterでは笑いや共感を得るためのネタや「自虐」が多い。

(本来自虐ネタというのは防御に使うことが多いと思う。自分の欠点を人に指摘されたり気の毒に思われるのが嫌だから、敢えて自分からさらけ出してネタにする。どちらかというと笑いを取りにいくことよりも、別に本人は気にしてませんよというアピールの意味合いが大きい。ところがtwitter等では仮の自分であることをいいことに純粋に「ネタ」にすることができる)

 Facebookでの自慢が表面上は受け入れられるのはそれにケチをつけると自分の信頼を損なう危険性があるからだ。逆にFacebookで自虐をやると変に同情されるし、Twitterで自慢ばかりしているとリムられる。仮名と実名の空気の違いに合わせて自分を認めさせる手段も変えているというわけだ。(とはいえ皆内心Facebookの自慢合戦にはうんざりしているようだけど)

 

 仮名の多いTwitterにも実名の人達がいる。パンピーで実名アカウントの人は基本的に友人との交流に使っているため、フォロワーが多いのは当たり前だが元々著名人である人達だ。今や著名人に直接メッセージを気軽に送れる時代になったのだけど(反応が返ってくるかはともかく)これが2ちゃんねる以上にタチが悪い。匿名掲示板での煽り合いは互いの攻撃対象が「人」ではなく「発言」である。どこの誰が言ってるかなんて分からないしどうでもいい。それに対しTwitterでの発言を批判することはその人自身を批判することになる2ちゃんねるで煽られる以上にTwitterでの不躾なリプライに腹が立つのはそういう理屈だ。実名でやってる著名人は尚更だと思う。

 (だから実名アカウントの人達が「発言に責任を持たない仮名は卑怯だ」という気持ちは解る。しかし、実名出してる人間達が自身の発言に責任を持っているかというとそれもいささか疑問である。明らかな失言をしておきながら、開き直ったり知らんぷりという人も少なくない)

 言葉というのは「何を言うか」ということよりも「誰が言うか」ということのほうが遥かに重要である。雀荘通いのオッサンが「努力が大事」と語ったところで適当に相槌打たれて聞き流されるだろう。同じことをイチローが言えば皆有難がって拝聴するし、政治家はちょっと冗談を言えば叩かれるし、アイドルはTwitterで「おはよう」と挨拶するだけでファボられる。誰かの言葉を聞く時、人はその発言者の文脈を踏まえた上で耳を傾ける。2ちゃんねる便所の落書きと呼ばれるのは単に無責任だからというだけでなく、発言者自身の情報がない所為ではないかと思う。

 

 しかし、2ちゃんねる育ちの自分はこうも思う。無責任な誹謗中傷デマ犯罪予告を擁護する気は毛頭ないが、リスクやら承認欲求やらばかり気にして発言するのって息苦しくないかと。発言者が誰かということを踏まえて言葉を読み解くのも大事だけど、そんなバイアスや色眼鏡なしに純粋に何処かの誰かの言葉そのものを聞きたいなと。

(もっとも、2ちゃんねるでさえ言われているほど本音トークばかりが展開されているわけではなく、匿名には匿名なりの空気の読み方があり、空気の壊し方がある。例えば、あるスレで何かの作品が酷評されていたとする。すると単純に賞賛する意見は言い辛くなるのだけど、不思議なことにそれだけ批判ばかりの流れを見ていると自分も否定的だったはずなのに敢えて良いところを挙げてみたくなったりすることもある。結局その時の空気に左右されてしまうのだ。スレの流れは>>2が決めるというのも的を射ている)

 

 まとめると、実名と仮名は承認欲求満たしたい人向けで、匿名はそういうのから離れたい人向けだと思う。さぁみんな2ちゃんねるに戻ってこい。

 

 

 

 

                            結論、Facebookはクソ

 

 

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